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日記

2016-04-02

作者の気持ち

 国語のテスト問題なんかでよく「この時の作者の心情を答えよ」なんて問題がありましたよね。作者の気持ちなんか知らないよ!、と嘆いた人も多いのではないでしょうか。

 私個人の意見を言わせていただくなら、正直、読者はそれでいいと思います。
 小説を書いている側からしたら、作者の気持ちより、読者がどう受け止めてくれるかの方が大事ですもの。知らなくていいんですよ、作者の気持ちなんか。

 知るんじゃなくて、わざわざ考え込んで読み取るんじゃなくて、伝わってください。

 受け取る側にもある程度の訓練がいる事柄ではありますから、テストが無意味とは言いませんが、書く側の理想としては「伝えたいことを伝わるように書く」ことですからね。
 伝わらないときは己の未熟と受け止め、精進するべきだと思うのですよ。
 私はこう思って書いたんだから、こう読んでよね!、というのは単なる作者の我侭で、独りよがりでしかないでしょう。
 そもそも言葉はツールでしかないのですから、100%正しく伝えるのは無理なものと最初から覚悟した上で、試行錯誤するべきです。

 ……するべき、ですが。
 この「作者の気持ち」が読者に自然に正しく伝わることはないかと言うと、そんな事は無いのです。
 実は、伝わって欲しくない所ほど分かってしまうものでもあるんですよね。

 作者のそのときの気分とか、心のすさみ具合とか、好悪とか、意外なところで眠気なんかも伝わってしまったりします。
 作者の意図する所とはべつに、です。
 この辺が怖い所。
 だからこそプロは校正を重ねるのでしょうが。

 でもね、その程度なら、まだいいと思うのです。そんなものは他の人にアドバイスしてもらったり、書き直したりすればなんとでもなりますし、そもそも何とかするのが物書きですもの。

 そんな物書きでも、一つだけ、どうしようもないものがあります。
 この「気持ち」で、一番伝わってしまうけど、本来なら一番伝わってはいけないもの。

 それは、「作者に作品への愛があるかどうか」。

 これは本当に物語に出ますよね。
 出た瞬間に読者の心も冷めますので、絶対に出しちゃいけないんですけど。

 例えば、有名な所で例を出すならば、「吾輩は猫である」。
 夏目先生の書かれた小説です。
 猫から見た人間社会をユーモラスに描いた傑作だと思います。

 ―――上巻だけみたら。

 上巻は小学生が読んでも面白いくらい、素晴らしかったですよ。
 でも下巻は作者が飽きたんだろうなー、無理に書いてんなーと言うのが一目瞭然で、正直辛かったです。

 聞けば、続編をと望まれて無理無理書いたものらしいですね。
 うん、そりゃあ作者の愛もないわ。

 愛がないものを書くのもどうかと思いますが、こればっかりはお仕事ですし。かと言って人間なんですから、飽きたり強制されたりすれば愛が冷めるのも、ある程度は仕方ないと思います。

 でもまあ、読者からしたら、そんな事は知ったことではないわけで。
 折角その作品を好きで、楽しんで読んでるんだから、その気持ちに水を注されたくなんかないわけですよ。

 作者から作品への愛がないと感じられると、読者は冷める。
 逆に言えば、作者の愛を感じられる作品は、それだけである程度は読める、ということでもあります。

 愛=熱量です。
 作者が書き進めるためだけでなく、読者が読み進めるための推進力でもあるのです。
 愛ってとっても大事なんです。

 是非とも詰められるだけ詰め込んで作品を作って欲しい。
 一読者としては、心からそう願います。



 吾輩は猫であるの配信CMをみていて、そんな気持ちを思い出したのでちょっと吐き出してみました。
 愛とか情熱って強いですよね、本当に。
 ならその作者の愛が冷めた時どうすればいいかと言われると、困りますけど。―――どうしたらいいんでしょう?
 愛を持続させる手段があるなら、私も知りたい。
 案外これが物書きにとっては永遠の課題なのかもしれませんね。
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